2012年2月27日月曜日

PINA

ピナ・バウシュの舞台を映像化する難しさに頭を悩ませていたヴェンダース監督。それが可能になるのでないかと3Dに取り組んだ。奥行きのあるヴッパータールの町や舞台で繰り広げられる踊りは、見ごたえがある。劇場では座席に座ると観客はその場から動けない、彼のカメラは一番美しアングルで舞台の総てを映し出す。もちろん舞台とは違う、しかし、舞台を映像化するという意欲が満ち溢れた作品だ。

ピナは類い稀なる才能をもったダンサーで振り付け家でもあったけれど、全ての作品がエキサイティングであったとは思わない。ドイツ滞在中、88年から90年までヴッパータールに足を運んで見た舞台は、マンネリ化してしまった作品もあった。本当にダンサーなのか?と思うような人も舞台に出ていた。それに彼女の舞台を見るとなぜか心がざわざわする。・・・これは彼女の作品があまり好キクナイとゆーうことではなく、彼女のダンスが私の何か触れられたくないものをペラリとめくってしまったから、なのかもしれないとも思う。

80年代末、ベジャールも難解な世界に走り、新しいダンスの姿を見せてくれた人たちの作品が、”行き過ぎて勿体ぶっている”ような気がしていた。そしてこの映画でずっと遠のいていたピナの作品、「カフェ・ミュラー」、新しい作品「フルムーン」を見る。そのエッセンスを拾い上げ、映像に織り込んだヴェンダース監督は、ダンスに関しても鋭い慧眼の持ち主と感服。ピナが好きな人にはたまらない映画になっていることだろう。

・・・私は、やっぱり心がザワついてしまった。なんでだろう。あのときから20年も経つのに、私は変わっていないのだ。このざわ付きとしばらく対峙することになるのだろうなぁ。

2012年2月25日土曜日

今月のパン教室

毎月1回、楽しく習って −というか「食べて」という方が正しいか− いる間に、中級も半分くらい終了してしまった。ベンチタイムとかニーディング、などなど聞いたこともなかったような単語が少しずつ頭に収まり、唖然と突っ立っているだけのシーンは少なくなってきているかも。

パンを1人で作るまではまだ行かないけれど、教室で時間や手間をかけてパンを作るうちに、自分の生活にも少し変化があったかな。それまでは料理を手早く済ませようとしていたけれど、最近、手間や時間をかけることが億劫ではなくなってきたような気がする。ま、子どもが小さいうちは、帰宅してこどもの寝る時間から逆算して晩ご飯を食べるには、なんてバタバタしていたからね。

今回も、先生の神業のような手つきに感動を覚えながら作ったパンとお菓子。


香ばしいアーモンドとチョコレート
中には栗も!!

外をパリッと仕上げるため蒸気焼成というのをする
カリッと焼けたタルトの上にカスタードクリーム

2012年2月23日木曜日

おとなのけんか   Carnage

舞台で各賞を受賞しているヤスミナ・レザの”Carnage”をロマン・ポランスキーが映画化。原題を直訳すると、殺戮とか、大虐殺とか、ちょっとマイルドにしても修羅場とか。


ナンシー(ケイト・ウィンスレット)  とアラン(クリストフ・ヴァルツ)の11才になる息子ザカリーが同級生のイーサンと「こどものけんか」をして枝で殴ってケガをさせてしまう。二人はイーサンの親ペネロピ(ジョディ・フォススター)とマイケル(ジョン・C・ライリー)から、平和的解決を図るためアパートメントに招かれる。
しかしペネロピは平和を装いながらも毒のある言葉をチクリチクリ。丸く収めようとするマイケルがズルズルとナンシーとアランを引き止め、やがて4人それぞれが自分以外の全員を攻撃し始め修羅場と化していく。


既に完璧なる脚本がある上に、芸達者の4人、これだけそろえばハズレない。子供の喧嘩に大人が顔を出し、本題そっちのけでアサッテ方に話が飛んじゃったように見える。しかし、登場しない2人の「こども」がいるからこそこうなっちゃうのだろう。代理戦争は本質の解決を遠ざけるばかりか、あれこれ色々吸い寄せて問題を膨らませてしまう。


夫婦でも親子でも分かり合えない部分に蓋をして生活をしてきているが、そんなこんながねちねちと頭をもたげやがて大爆発。その爆発への導火線=セリフがなんとも素晴らしい。そしてセリフがないときも、沈黙が語る4人の俳優の顔、動作!!俳優であるということはこういうことなのだろう。俳優と脚本に安心して任せていられる監督の余裕を感じる映画だった。


苦笑いと大笑い、「おとな」におすすめ。クリストファー・ヴァルツはほんとにオモシロイ。

2012年2月21日火曜日

TIME/ タイム In Time

人類は遺伝子操作で25才以上年を取らなくなったかわりに、腕に寿命の時間表示が表れ、それ以降は稼いだ分が時間として加算されていく。通貨のかわりにその時間で物を買い、数字がゼロになると命を落とすことになる。体内にある時間は、貸し借りもできるし、高利ローンだって可能、もちろん盗んだってちゃんと使える。

日雇労働でその日その日をギリギリ生きながらえている貧困層のウィル・サラス(ジャスティン・ティンバーレイク)は、スラム街を訪れたある富裕層の男をギャングから救う。その男から有り余る時間で死ぬ事のできないむなしさを、そして貧困層が時間を搾取されている事を聞かされる。その男は、スラム街においては破格の長さである117年を、ウィルに残し自ら命を絶ってしまう。

人々は経済的なクラスで住む場所を割り当てられ、他のゾーンに行く場合は高い通行料を払わねばならないが、ウィルは手にした時間でスラム街を出て、富裕層の住む地区を訪れる。そこでは生活も時間も全く次元が違っていた。

ウィルは自殺した男から時間を盗んだ罪で、時間を管理するタイムキーパー(キリアン・マーフィー)に時間をとりあげられ、スラム街に送還されそうになる。実際はウィルが盗んだかどうかはどうでもいいことで、スラム街の人間はいくら時間を持っていようが、富裕層には決して上がれないと言うことなのだ。ウィルは彼に興味をもった富裕層の箱入り娘シルビア(アマンダ・サイフリッド)を人質に、タイムキーパーから逃走する。

字幕を見ている限りはそんなに気がつかないけれど、ワカ様曰く「アイデアはいいけれど、セリフが良くないし演技がちょっとねぇ」(うわっ、カラクチ)。オットの感想に至っては、「なぜアマンダ・サイフリッドはあんなに高いヒールの靴で逃げるのだ!」。たしかに逃げているとき、私も転ばないかと足元ばかりが気になった。


アンドリュー・ニコル監督1997年作品の「ガタカ」のように、遺伝子操作、美しい若者、社会のシステムに挑む主人公。そこに経済の問題を絡ませた着目点は面白い。数パーセントの人に富が集中する社会システムへの批判、永遠に生きながらえるよりも今の一瞬を生きろ、という生き方論も見て取れる。でも「ガタカ」を見たときのような、「オオ~」っと言うような印象は残念ながらなし。途中からは「俺たちに明日はない」が頭に浮かぶけど、あれほどのインパクトもなし。いろいろ詰め込みすぎたのだろうか。

2012年2月15日水曜日

CHEMEX まだまだ

コーヒーを入れる道具は揃った、練習もしている、あとはコーヒー豆の研究。

今回はアメリカから輸入されたオーガニック豆を購入。
あら?弾き具合は同じなのに泡が立たない。入れたコーヒーはそれほど悪くはないけれど・・・。早速ワークショップをしてくれたお店で聞いてみた。「(よくわからないけれど)輸入前にアメリカで焙煎しているのではないか」と言う。コーヒーにして飲むのは、焙煎してから早ければ早いほど良いらしい。挽いた後の粉に水分が少ないようだ。それが関係するのかどうかは分からないけれど、確かに焙煎したばかりのコーヒーはもう少し油っぽい(?)ような・・・。近所にその場で焙煎してくれるお店があるので、今度行ってみよう。

私は飲み物だけを飲むのであれば、断然、紅茶か緑茶。だからたまにケーキをいただくときには飲んでも、コーヒー自体を美味しいと思ったことはあんまりない。しかし、こうやって色々と発見して入れ方を工夫し始めると、とても面白い。

2012年2月14日火曜日

原発国民投票のための勉強

この一年、とにかく沢山読んでみた。今更と思わず、とにかく関心を持つこと、自分と違う意見を聞くことを心がけた。東電は責任を取らなくてはいけないけれど、その出来上がったシステムがそっくり国に移行するだけではなんの意味もない。民間であるために戦った電力会社の気概と、自由化のために奔走した経産省の陽の側面が、どうして生かせずに何も進展しないのだろう。

原発国民投票のための勉強 その1

原発異存派は事故風化を待っている、それを許してはいけないと言う記事だ。「通販生活」って私には馴染みのないものだけれど、とてもわかりやすく書かれている。

2012年2月12日日曜日

ドラゴンタトゥーの女 The Girl with the Dragon Tattoo

ジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)は大物実業家の不正行為を記事にしたカドで訴えられ、敗訴し、そのせいで勤め先の出版会社も経営が行きずまってしまう。しかし、大財閥の元オーナーのヘンリック(クリストファー・プラマー)は彼の調査能力に目を付け、弁護士を通じてミカエルを調査させる。一風変わった23才のリスベット(ルーニー・マーラー)が、その調査を担当する。


ヘンリックはリスベットによる身辺調査結果に満足し、ミカエルにある調査を依頼する。40年前に失踪し、おそらく殺されているだろうと思われている兄の孫娘ハリエットを探して欲しいと言うのだ。その見返りにミカエルが記事にした大実業家が、本当に悪戯を行なっていたと言う証拠を渡すという。失うものもないミカエルは財閥一族だけが住む孤島のコテージに移り調査を始める。一族の誰かが疑わしいこと、また当時起こった連続猟奇殺人事が関係するであろうことなど、次第にミカエルは一人ではとても手に負えないことが分かってくる。そして助手として紹介されたのが、自分の身元調査を行なったリスベットだった。


スェーデンの冷たい冬の風景が、財閥一族の人間関係そのもののようだ。そんな風景の中、私の嫌いな痛そうな場面も出てくる。その映像はこれ以上はちょっと、というところでスン止。しかしその後味の悪さのせいか、登場人物に与えられた肉体の痛みが精神に与える影響を、私がモロに共有してしまう。一緒に怒ってしまう訳だ。そこで貯め込こんだ怒りが、うまい具合に「目には目を」となる。仕返しの場面の方がずっと痛そうなのに、ある種の爽快感。そういう自分も、ちと、コワイ。「羊たちの沈黙」のような誇張されたものとは違った恐怖が漂う。「ソーシャルネットワーク」のような軽快な場面展開が、重苦しくさせないせいかな。


ルーニー・マーラー@ソーシャルネットワーク
カミソリの如く尖ったリスベットがミカエルの魅力にはほだされるシーンは結構唐突なんだけど、不思議とロマンスを感じるのは、主人公をダニエル様にしたキャスティングの成功。リスベット役のルーニー・マーラーは「ソーシャルネットワーク」でマークがお友達になりたいのになれなかった憧れの女の子、エリカちゃんなのだ。ああ、またスゴイ若者が出てきた。今年、アカデミー賞にノミネートされている。


経済会とマフィアの癒着、ナチ信望者、高度な福祉システムを利用する人間の邪悪さなど、推理小説(?)に纏め上げたスティーグ・ラーソン。残念なことに2004年に早世している。


オープニングはレッド・ツェッペリンの”Immigrant Song”をカバー、映像は007風でかなりイケてる。

2012年2月8日水曜日

CHEMEX もう一丁

紀ノ国屋で挽いてもらったコーヒー豆が終わってから、しばらく考えてやっぱり家で挽いてみようと決心し(大げさか)、いよいよメリタの電気式ミルを買った。

ワークショップでは”5秒挽いてシェイクして”を3回くり返し、後は挽き具合を見る、と教わった。3回繰り返すところまでは私でもできる。しかし挽き具合を見ると言われても、それがいいのか悪いのか分からない。この辺に研究の余地があるのだなと思いつつ、あと一秒ずつ3回ほどミルのスイッチを、ツュ~ン(x3)と押してみた。大きなカケラが残らない程度かな。

さて、ドリップポットからの第一投、ここで挽いた豆を少々蒸らす。あらら・・・、全然違うわ、泡がモコモコ立つではないの!コーヒー豆の挽き具合によってこんなにも違うとは!前回粗めに挽いてもらった豆でも、まだ細かすぎたということなのね。

我が家の配分はと言うと、コーヒー用のスプーンで少々多めにコーヒー豆3杯、お湯は月兎印のポット(0.7ℓ)にぎりぎりまで、以上でマグカップ3杯分。コーヒー豆を4杯にすると我が家の舌には苦かった。

2012年2月7日火曜日

ガレキ処理は・・・

原発反対と放射性物質は切っても切り離せない。
前にも書いたけれど、放射性物質に関しては難しすぎてよくわからない。しかし、原発反対の私でも分けて考えることができる問題があるのではないか、と思うことがある。そのひとつは「ガレキの受け入れ」に関してだ。

放射能と一緒にしていいかどうかもわからないけれど、アスベストも何十年と害を知らされないまま「放置」されてきた。タバコだって万病の元だということは周知されているのに未だ野放し。母乳のダイオキシン問題然り。発がん性があることに関してはどれも同じだ。

震災で発生したガレキ問題に関しての河野太郎さんのブログを読み、またまた考えこむ。河野さんが書いているからなおさらだ。私は放射能の計測を行う組織が、全くの独立第3機関であれば受け入れに納得する材料が増えると思う。本当に難しい、放射能の話は。

2012年2月5日日曜日

人生はビギナーズ  Beginners

オリバー(ユアン・マクレガー)は5年前、母に先立たれた父ハル(クリストファー・プラマー)から、自分はゲイなのでこれからゲイとして人生を謳歌したいと告げられる。そしてその父はがんを患っており時間が無いと言うのに、何一つ父のことを理解していなかったことを知る。オリバーは自分の子どもの頃の母や豊かではあるけれどどこか不完全な家庭、人生の最終章をあるべき姿で幸せに暮らす父を回想する。しかしその喪失感であったり、子供の頃からの心のわだかまり等が、38になって恋したアナ(メラニー・ロラン)との関係に縺れてくる。

モヤモヤしたものを抱えたまま大人になったオリバーを、ユアン・マクレガーがもの静かに繊細に演じている。アナ役のメラニー・ロランは香り立つような美しさ。はかなげで、それでいて存在感のある透明な美しさはおとぎ話の主人公のようだ。クリストファー・プラマーの演じるハルの、母性的な愛に宿るあっけらかんとした明るさと儚さが悲しい。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。オリバーの個性的な母親を演じたメアリー・ペイジ・ケラーのどこか諦めきれない表情や、ハルの恋人アンディー役を演じたゴラン・ヴィシュニックの色々と乗り越えて来たのだなと思わせる瞳が印象に残る。

柔らかな光、整然とした室内、主人公が書くシンプルなイラスト、音楽に至るまで、実にセンスのいい佳作。監督のマイク・ミルズは自分の体験をもとに映画を作成。アナとの関係にポツポツ織り込まれる父や母との回想は、オリバーが頭の中で答えを探す方程式のようだ。こうして何かが起きたとき、過去を咀嚼できるひとが羨ましい。私は「点」で生きているような人だからなぁ。

人生はいつまでたっても「初心者」・・・。確かにそう、リハーサルなんてできないものね。そうよ、初心者のつもりで前に進む、いくつになっても。ビギナーと思えば、いいのよね、それで。

2012年2月1日水曜日

The Tsunami and the Cherry Blossom

今年のアカデミー賞、短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。
泣いた、ハラハラと散る桜のように。